ライター/柚葉黎子(ゆずはれいこ)
祟りとは
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祟りという言葉は「恐怖」をイメージしてしまいますよね。何か得体のしれない恐ろしいもの、それが祟りといえるかもしれません。ここでは祟りについて呪いとの違いや災いが及ぶ範囲を考えてみましょう。
祟りと呪いはどう違うのか
誰かに災いを起こすという意味では祟りと同じように「呪い」という言葉が連想されます。ただ祟りと呪いには少し違いがあるといえるでしょう。それは災いを相手に起こそうとしているのがだれかということ。多くの場合呪いは「人」が何かの災いを相手に起こそうとする行為ですが、祟りは「神や動物など人以外のもの」によって災難を引き起こそうとする行為とされています。ただはっきりとした区別の基準があるとは考えにくいともいえるでしょう。
祟りは特定の相手だけではない
呪いをかける相手は特定の人々ですが、祟りは不特定の人々が災難に見舞われると考えられています。たとえば洪水や火山の噴火などの自然災害も古くは「神様の祟り」と考えられていたといえるでしょう。実際、菅原道真公の祟りという落雷事件など、大きな政治的な不幸が起こったときに何らかの自然災害が重なってしまっているという史実があります。
日本の御霊信仰という古くからある日本的な考え方とは
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日本には縄文の頃から人の体には魂が宿り、肉体が滅びたのち魂が霊となって人々に災いを起こすと考えられていいました。縄文時代の屈葬は、胎児と同じ姿勢を死者に取らせることでよみがえりを意味し現世に災いが起こらないようにと祈ったものともいわれています。この考え方から派生したといわれるのが日本の御霊信仰といえるでしょう。ここでは御霊信仰における祟り神と祟り神が信じられてきた理由を考えてみましょう。
祟り神とは神となった怨霊
日本では歴史上何人かの「怨霊」といわれる特別な霊が存在しています。怨霊といわれる霊たちは、歴史のなかで政争に巻き込まれ政権争いの中で何らかの陰謀によって政界から葬り去られた霊たちのこと。荒ぶる怨霊は陥れた張本人だけではなく多くの人々に疫病や自然災害という形で恨みを晴らしていると信じられていました。この怨霊の怒りを鎮めるために日本ではその御霊を神として崇めるようになりました。こうして神となった怨霊のことを「祟り神」といいます。最近では有名なアニメに登場したことで知られるようになったといえるでしょう。
祟り神が広く信じられた理由
日本で御霊信仰が広く信じられるようになったのは、庶民の間に根強く残っていた神々への信仰に由来するといえるでしょう。仏教が日本に伝来して以降は、神仏が融合しさらに日本に根付いていったようです。少なくとも御霊信仰は平安時代には多くの人々の間で信じられるようになっていきました。明治時代以降は、神仏分離政策によって神道の中に組み込まれていったといえるでしょう。
祟り神として知られる4つの怨霊
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祟り神といえば日本3大怨霊である菅原道真・平将門・崇徳天皇といわれています。しかし最初の祟り神といわれる怨霊は平安遷都を敢行した桓武天皇の実弟である早良親王といわれていることを知っていますか。ここでは祟り神といわれる4つの怨霊を詳しく解説しましょう。