その1.最強の怨霊として恐れられた早良親王とは
早良親王は、桓武天皇の実弟に当たります。ただ母親の身分が低かったため天皇になることはないといわれていました。そのため僧侶として仏門に入りましたが、のちに還俗し皇太子となっています。早良親王は、仏門に入っていたため東大寺などとの強いパイプがあり、そのことは桓武天皇にとってはとても厄介な問題でした。皇太子となった早良親王は長岡京への遷都に貢献しましたが、藤原種継の暗殺を画策した首謀者としてとらえられました。断食をしてまで無罪を主張しましたが聞き入れられることはなく淡路島へ流される途中で憤死したとされます。
桓武天皇が恐れた早良親王の怨霊
長岡京ではたびたび大きな洪水に襲われていました。そして桓武天皇は平安京へ遷都しますが、早良親王の死後なぜか桓武天皇の妻や母親、息子が次々に病に倒れるという不幸が続き、早良親王の怨霊によるものとされました。そのため桓武天皇は早良親王に「祟道(すどう)天皇」という称号を与えその遺体を京都へと移したのち京都に埋葬しました。さらに御領神社を建立し、早良親王の怨霊を鎮めようとしたとされています。桓武天皇が10年ほどしかたたない早良親王が尽力した長岡京から平安京へ急いで都を移した本当の理由は早良親王の怨念から逃れるためだったともいわれているそうですよ。
その2~4.日本3大怨霊
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日本3大怨霊といわれる菅原道真・平将門・崇徳天皇は、それぞれ神として人々に崇められるようになっています。あまりにも強い怨念を持った霊だったため手厚く崇めることでその魂の怒りをおさめ、強いパワーを得ようと考えたのでしょう。実際全国には多くのゆかりの神社などが建てられています。北野天満宮や太宰府天満宮は菅原道真、将門の首塚や神田明神は平将門、白峰寺(しろみねじ)や安井金比羅宮は崇徳天皇のゆかりの地として多くの参拝客が現代でも訪れていますよ。神田明神は3体あるご本尊のうちのひとりが平将門。ただ明治以降1984年までは逆賊として平将門をご本尊から外されていましたが、多くの要望があったため1984年ご本尊のひとつに復帰したという話です。
【番外編1】祟り神の代表格といわれる牛頭天王(ごずてんのう)
牛頭天王(ごずてんのう)が最初に御霊信仰の対象となったといわれていることを知っていますか。牛頭天王は、疫病の神とされこの魂を鎮魂することで疫病などの災いが起こらないようにと人々は神として崇め手厚く鎮魂の儀式を行ってきたといわれています。この牛頭天皇などの祟り神を鎮魂するための盛大な行事が京都の夏の風物詩といわれる祇園祭。牛頭天皇は、まさに祟り神の代表格といわれる由縁といえるでしょう。
【番外編2】祟るといわれる動物たち
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人々に祟る霊は人間だけではありません。狐や猫、蛇などもむやみに殺したり傷つけたりすると祟るといわれていますよね。狐は稲荷大社で大切にされている動物。稲荷信仰では狐を邪険に扱うと祟るとされています。また三輪信仰では蛇は神の化身ともされ、殺すと末代までも祟るとか。猫は怪談の影響から祟る動物といわれるようになったとか。猫や蛇などが祟る動物として庶民の間では広く信じられるようになったといわれています。動物も人と同じ命あるもの、むやみに殺す、傷つけることは好ましくないことという考え方が根底にあるのかもしれませんね。
祟りとは人の心がもたらすもの神となった強いパワーをもらおう
自然災害や感染症などの疫病といわれる災いの原因がなんらかの「祟り」と考える人は現代ではほとんどいないといえるでしょう。ただ、祟り神を祭った神社などは大きなご利益があるという信仰は現在でも残っているといえます。確かに現代でも科学では証明できなことはたくさんありますよね。祟りを恐れるのは人の心によるともいえるのではないでしょうか。神となった人々の力強いパワーをもらうことができるように神社などに参拝してみましょう。