1.殺生をする人

1つは殺生をした人。世の中では殺生の罪ほど重たい罪はありませんが、行き先は等活地獄。しかし、仏教の世界では、五逆となる親・僧侶を殺すと等活地獄より苦しい無間地獄(阿鼻地獄)に堕ちていきます。しかも、ここで言う殺生の対象とは人間だけでなく生きとし生けるもの全てが対象。人が動物を殺して食べてもダメなのです。

2.盗みを犯した人

2つ目は盗みを犯した人です。世の中の動きでは強盗・窃盗はもちろんのこと、自分に合っていない不相応な贅沢をしたことでも対象となってきます。これは人が大切にしていたものを盗むことでその人がどんなに困るのかを想像してみると分かること。

殺生も重たい罪ではありますが、盗みもこれに劣らず重たい罪と言えるのではないでしょうか?

3.嘘をつく人

3つ目は嘘をついたり他人を惑わした人が堕ちるというもの。嘘をつくことは殺生・盗みより軽い気持ちでやりそうなことですが、最も罪深いものだとされているのです。これは仏教の世界で人を惑わすことがどれだけ重たい罪なのかという所以があるため。世の中には人を騙すことでお金儲けをしたり、恩を仇で返すとうな行動も対象になってきます。

地獄に堕ちることは避けることができるの?

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では、地獄に堕ちることを避けることはできないのでしょうか?

堕ちたくないなら、心を清めること

一生の中で嘘をつくことが1度や2度はあるでしょうし、食事でも動物の命を奪うことが前提。そうなるとほとんどの人が八熱地獄のどこかに行くことになります。しかし、地獄に堕ちたくないのであれば、心を清めるように意識を持つことが大切です。全ての命・生き物に感謝してあなた自身の魂をピュアにすることを心掛けるべきでしょう。

筆者が思う地獄観:罪の軽さ・重さで変わらない地獄の苦しみ

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ここで見てきた等活地獄を始めとする8つの地獄は仏教観での世界です。しかし、俗世間的な発想では想像できないように罪には軽さ・重さはないと思う筆者。たとえ人を殺めようともちょっとした嘘でも罪は罪。筆者も嘘をついたことはありますし、食事だって殺生をしていないかと言えば嘘になります。だからこそ普段の生活の中で自分がここにいられるのは全ての生命のおかげだと感謝すべきだと思いますし、人間界に生まれてよかったとも感じることができるのはないでしょうか。

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