栗鼠文様は室町時代ごろから人気になった
栗鼠文様は古くから人類に愛されていた文様といえます。ローマ時代にもリスの文様が好まれ、ぶどうと一緒に描かれていました。この文様が日本に入ってきたのは中国から。とくに栗鼠と葡萄が一緒に描かれているモチーフが人気だったとか。日本では室町時代ごろから領主などの屋敷の調度品などにあしらわれていました。栗鼠の文様は微妙に少しずつ違う職人技と当時に調度品に関するこだわりを見ることができるといえるでしょう。
江戸時代においてもリスはとても人気のあるモチーフでした。とくに江戸時代になるとリスのしっぽを大きく誇張して描かれることが多くなったということです。
栗鼠文様と武士の意外な関係とは
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室町時代から人気となった栗鼠の文様は、武士の台頭と重なっているともいえるでしょう。とくに栗鼠と葡萄が一緒に描かれている文様は「ぶどうとリス」という言葉が「武道を律す」という言葉と読み方が似ていることからとくに武士に人気があったといわれています。武士の中には家紋などに家や子孫の繁栄を祈願してリスの文様を取り入れているものもあったとか。
また、リスと葡萄はともに「豊穣・豊作」をもたらす縁起物の動植物として古くから愛されていたとか。豊穣や豊作を意味するこのふたつの縁起物が一緒に描かれている文様は、とても縁起がいいといわれるようになったのでしょう。
首里城にも使われていた栗鼠文様
栗鼠と葡萄を基調とした文様は1980年代から始まり1992年に完成した首里城の復元の時に、多くの場所に使われていた文様でした。2019年10月31日に正殿などの多くの復興された建築物や芸術作品が消失してしまいました。現在は首里城を再び復興させるために多くの努力がはらわれています。
消失してしまいましたが、消失前の首里城には多くのリスと葡萄の文様が使われていました。実際には野生のリスは沖縄には生息していません。ただ日本や中国との交流がとても深く、文化的に日本の影響が色濃く残っていたとされる琉球王朝でリスの文様が愛されていたことは当然のことかもしれません。消失前の正殿の正面にはリスと葡萄の文様があしらわれていたことが残された写真やインターネットのサイトの画像などからもはっきりとわかります。再び復元される首里城においてもリスの文様は、多く再現されるかもしれませんね。
栗鼠と葡萄(ぶどう)が一緒に描かれる理由とは
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リスの文様はそのほとんどがぶどうと一緒に描かれています。栗鼠葡萄という文様はもともと中国から伝わったものでした。中国などの東アジアにおいては幸せの象徴として栗鼠葡萄の文様を好んで使っていたとか。また伊万里焼などのモチーフとして使用されており、海外へ多くの作品が輸出されていたそうです。
もともとブドウはたくさんの実をつける、木に蔓が巻き付くということから縁結び、夫婦円満、豊穣、子宝、子孫繁栄、商売繁盛などの縁起物とされていました。栗鼠も子孫繁栄や金運をもたらす縁起物とされており、このふたつの縁起物が一緒に描かれていることでさらに運気が上昇しますます繁栄するといわれるようになったとか。
縁起がいい栗鼠のグッズで幸運を引き寄せよう
リスはうさぎや白鳥・ふくろうなどとともにウエディングの際にも縁起物として使われることがあるそうです。子孫繁栄や縁結びなどとても縁起がいいといわれるリス。小さくてかわいいリスをモチーフにしたグッズを持つだけで癒されますよね。あなたもかわいいリスのグッズを持つことで素敵な幸運を引き寄せてみませんか。