種類2 陰陽師による呪い

奈良時代から江戸時代ごろまでよく行われていたとされるのが陰陽道にある「蠱毒(こどく)」。毒のある生き物を共食いさせて残った生きものの毒を相手に飲ませるというもの。相手は原因不明の病で亡くなるといわれています。

ただ陰陽師は、映画にもなっているように朝廷や帝を守るためにおこなう呪術。これは決して相手を呪うためではなく、相手の呪いから結界などを張って守るという意味のもの。そのため呪いではなく「呪術」と呼び、区別していたといえるでしょう。

種類3 密教による呪い・天台宗や真言宗

密教といわれる真言宗や天台宗では、仏陀の教えに反して「呪い」が行われているといわれています。呪いは仏陀の教えに反するため、その詳しい方法などは厳重に管理されているとか。ただ、太平洋戦争の時、日本はこの密教の「呪い」をアメリカ軍にかけたといわれています。日本が戦争に負けたのは、この呪いが自らに帰ってきたためともいわれているそうですよ。

代表的な3つの呪い

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呪いは、日本だけではなくフランスやドイツ・ローマなど世界中に様々な話が残っています。日本最大の火災といわれる明暦の大火も呪いのひとつとされていますが、ここでは聖徳太子にまつわる呪い、ツタンカーメン王の墓の発掘にまつわる呪い、ホープ(ブルー)ダイヤモンドにまつわる呪いの話の3つについて解説しましょう。

呪い1 法隆寺にまつわる聖徳太子の呪い

奈良の観光地として有名は法隆寺。毎年多くの方が訪れる法隆寺ですが、じつはこの法隆寺は聖徳太子の呪いを封じるために建立されたという説があることを知っていますか。

聖徳太子の死後、蘇我氏はこの斑鳩寺で聖徳太子の一族を惨殺。その後蘇我氏は藤原氏によって滅ぼされました。斑鳩寺は火災で全焼、藤原氏によって法隆寺が建立されますが、法隆寺の建て方が聖徳太子の鎮魂を願ったものとされています。

法隆寺に安置されていた聖徳太子といわれる救世観音(ぐぜかんのん)を開封するなと伝えられていました。これを1000年後開封したのが東洋芸術の研究家アーネスト・フェノロサ。彼は24年後、大英博物館の中で心臓病で亡くなったため聖徳太子の呪いといわれています。

呪い2・発掘にかかわった人物を襲うツタンカーメンの呪い

エジプトでツタンカーメン王の墓の発掘にかかわった人々が次々と亡くなり、永い眠りから無理に起こされたツタンカーメンの呪いとして話題になっていました。ツタンカーメン王の墓であるピラミッドの中がほとんど盗掘されず残っていたことは奇跡に近いものでした。この墓を荒らしたということでツタンカーメン王の呪いがかけられたといわれました。ただ現在では、実際に亡くなった関係者はカーナヴォン卿だけであったとされ、この呪いは当時の新聞が作り上げたものだとされています。

呪い3 所有者が次々と不幸になるホープ(ブルー)ダイヤモンドの呪い

9世紀ごろ、ホープダイヤモンドと呼ばれる大きなブルーダイヤモンドがインドで発見されました。このダイヤは17世紀にインドの寺院の仏像に埋め込まれました。しかしフランス人によって強奪され、約112カラットという大きなダイヤモンドはルイ14世に売却されました。

ただこのダイヤモンドを持ったことでルイ14世には不幸が続くようになったといわれています。ルイ16世の時代には、フランス革命が勃発。王妃マリー・アントワネットは処刑されることになりました。

その後行方が分からなくなっていたダイヤモンドは19世紀にイギリスで発見され、所有者が点々と変わりました。ダイヤモンドの所有者は不幸になっていくといわれ最後の所有者であるアメリカのハリー・ウィンストンによってスミソニアン博物館に寄贈されました。

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