みなさんは【忌み子(いみご)】という言葉をご存じですか?そもそも【忌む】という言葉の意味は、不吉なことや穢れたものとして嫌う・避ける・憎むといった意味です。意味だけ聞くと何か恐ろしい子共を想像してしまいます。今では人を差別する言葉として使われることはほとんどありませんが、昔は生まれてきた子が【忌み子】の場合は、ひどい扱われ方をされたそうです。その歴史は古く日本書紀から存在していたと言われています。
では一体生まれてきた子がどんな理由から【忌み子】とされるのか、またひどい扱いってどういうものなのか。
今回はなんの罪もなく生まれてきた子を【忌み子】として扱った理由やその扱い方・忌み子として扱われた歴史上の人物までスピリチュアリストの筆者が詳しく解説します。

ライター/こんどうまろ

スピリチュアリスト。タロットと数秘術を使い無料で占いをしていましたが今はお休み中。アロマやヒーリングの技術を取得後スピリチュアルの世界に魅了され勉強しています。

【忌み子】とは

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【忌み子】という言葉が出来たのは江戸時代以前で現代では使われることはあまりありませんが、一部の集落ではその風習が残っている所もあります。【忌み子】とは忌み嫌われて生まれてきた子で、ほとんどが生まれる前や生まれてすぐに【忌み子】と見なされるのです。

ですが言葉が出来る前からその風習はあり、日本最初の歴史書「古事記」にも生まれた子がある特徴を持っていた為に、忌み子として恐れられひどい扱いをした様子が記されています。

昔【忌み子】の特徴となった原因は、現代では医療が発達し原因が解明されていますが、昔は災いをもたらす不吉な子として遠ざけられていました。

忌み子になる子供の特徴3選

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【忌み子】となる子の特徴とはなんでしょうか?今では到底考えられない理由から、罪もない赤ちゃんを恐れたり不吉なものの象徴として虐げられました。

ではどんな特徴を持って生まれたら【忌み子】と見なされるのか、詳しく解説していきます。

1.双子

今では双子なんて珍しい話ではありません。ですが昔は一度の出産で複数の子供を産むことは、犬や猫などの動物が一回の出産で複数の子供を産むことと同じで「畜生腹(ちくしょうばら)」と言い「不浄なもの」「不吉を運ぶもの」と母親をののしり、離縁されたりすることもありました。生まれた子供は「忌み子」として片方の子を隠したり産婆や母親が殺めたとも言われています。

中でも特に男女の双子は前世で心中した二人の生まれ変わりとして見られていました。江戸時代では心中は「大罪」です。心中した結果亡くなっても正式な埋葬は許されませんでした。もし片方が生き残っても殺人罪で裁かれ、両方生き残ると周りに晒されて身分を極端に貶められるという扱いを受けるのです。心中した二人の生まれ変わりということは「本当に汚らわしい存在」という風に見られていたのでしょうね。

また双子を産むということは当時、母体が耐えられず子供を産んでから亡くなる母親も多く、生まれながらに母殺しの子と言われました。

昔も殺人は罰せられる行為ですが、こういう事情に限り暗黙の了解で咎められることはなかったようで、当時はどれだけ「双子」を恐れていたのかが分かりますね。またの地域や年代の人にはいまだに「双子」を毛嫌いする風習が残っている所を見ると、そんなに遠い昔話ではないことが分かります。

2.望まれずに生まれた子

通常は子供が欲しいと望んで妊娠・出産しますが、性的暴力によって妊娠してしまったり愛人や浮気などの関係で妊娠してしまったこともありました。ですが知識やお金がなく中絶できない為、生まれてきた子供を【忌み子】と呼ばれ、疎まれて育てることもあったと言われています。

またそのような父親の分からない子や望まないタイミングで生まれてきた子は他の家に養子や奉公に出し、家で育てる期間は短かったようです。

また夫婦の間でも昔の根拠の薄い避妊方法で望まない妊娠をする場合もありましたが、同じように養子や奉公に出したり家で育てる場合は隔離されてり無視をするなどひどい扱いを受けた子も多くいます。

3.不吉な子

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昔は医療が今ほど進んでいなかったために、体に障がいを持って生まれた子も不吉を招くと言われ【忌み子】として扱われました。また宗教の信仰上、不吉とされる日に生まれてしまった子も同様に扱われています。

現在では考えられないことですが熱心に宗教を信仰するあまり過剰に考えたり、生まれながらに周囲の人と容姿が違う子は恐れられる存在だったということです。

また、今でこそ珍しくありませんが日本人以外との子供(ハーフ)も見た目が違う為、同じように扱われたと言われています。昔の日本は島国で国外との交流は少なく、見た目が違う子供は排除しようとする意識が高かったようです。

忌み子と呼ばれた歴史上の人物

日本の歴史上の人物に【忌み子】と呼ばれたり同等の扱いを受けたりした人もいます。実際にどのような扱いを受けたのか詳しく見ていきましょう。

その1.徳川秀康(結城秀康)

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徳川秀康は徳川家康と正室の奥女中「お万」との間にできた子ですが、妊娠中に家康の正室から嫉妬による暴行を受けます。周りの助けもありなんとか出産しますが、秀康が3歳になるまで家康に認知されず名もつけてもらえませんでした

生まれる前から命の危機にあった秀康ですが、家康が認知しなかったのは本妻の気兼ねした為と、実は秀康は双子で生まれてきた為疎ましい【忌み子】だった為と言われています。

家康の秀康に対する仕打ちをかわいそうに思った家康の長男が、父・家康に頼み込みなんとか認知されて名前を付けてもらえました。ですがその名前は顔が醜い意味を含んだ「ぎぎ丸」という乱暴な名付けをされたうえ、無視をされながら育ちます。

その後、羽柴秀吉のもとへ人質として養子にだされるなど、息子としてかわいがられた期間はほとんどといってありませんでした。

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