人間の命には限りがあります。義務教育を終えて高校・大学を卒業し社会に巣立っていく。その中でさまざまな経験をして最後に一生を終える。

これが人の一生ですが、中には日常の苦しみからの逃れたくて自殺してしまう。このような悲しい出来事が後を絶ちません。しかし、自殺は決してやってはならないこと。

今回の記事ではスピリチュアリストの筆者が自殺してはいけない本当の理由を徹底的に解説してまいります。

ライター/myuza

九州出身、神奈川在住の男性です。 20年以上、スピリチュアル分野に関心を持ち、多くのスピリチュアリストの方々と交流をして、精神世界探訪をしております。 つたない経験ですが、人生に悩まれている方々の参考になるような情報をご提供させていただきたいと思っています。

自殺は罪?

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世の中には自殺願望を持つ人が意外に多いもの。しかし、とても厳しい言い方ですが、「自殺は罪」という考え方があります。あなたの友人がもし自らの命を絶ってしまったとしたならどのように感じることでしょう?

厳しい判断になりますが、昨日まで何気なく普段通りに会話をしていたのに死んでしまったとしたなら、悲しい思いと同時に「裏切られた」という心境になるのかもしれません。亡くなった本人の苦しみはその人しか理解することができませんが、自殺することは”罪レベル”のことなのです。

1.社会的に許されない自殺

自殺は社会的にも許される行為ではありません。何故でしょうか?それは残された人に多大な迷惑を欠けてしまうからです。

一例を挙げると賃貸マンションで自殺。苦しさから逃れるために自分の命を絶った人はいいかもしれませんが、残された家族は大きな賠償を背負わされる可能性があります。

不動産業界では自殺のあった物件を”訳アリ物件”として扱わざるをえないのです。ビジネス的な面でも大きな問題。死ぬことでこれだけでも問題となってしまいます。

2.自殺は法的に裁かれないが

日本の法律では殺人は間違いなく法の下で罰せられることなることは誰もが知っていること。これが自殺になると日本国憲法を含む各法律の条文を照らし合わせてみても自殺に関する禁止の条文は見当たりありません。

そのために自殺は法律で裁かれることができないのです。だからと言って「自殺が許されるのか?」という問いについては、NOと言わざるとえないのが実情。

つまり人が生きることの倫理観の問題と言ってもいいのかもしれません。

3.人としての尊厳が自殺によって損なわれる

現代社会は”高齢化社会”と呼ばれる時代になり、寿命が伸びてきています。一生100年とも言われる中で、人間としての尊厳のあり方も問われてきているのではないかと思うのです。

余命いくばくのない人が延命措置を受けるケースもあれば、”安楽死”の是非が問われたりと、人間の生命の尊厳があらためて着目されています。私たち1人ひとりが自らの命をどうするべきなのか模索しなくてはなりませんが、自殺者が増えていることは人としての尊厳が損なわれていると言っても過言ではないのです。

自殺しても苦しみは消えない?なぜ?

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ここでは自殺をスピリチュアルな観点から考えてみることにいたしましょう。

自殺する人の心境は、「今の苦しみから解放されたい」「辛いことから逃げ出したい」という心境があるはず。

しかし、ここで命を絶っても決してその苦しみ・辛さが消えることはありません。

1.自殺しても楽にならないから

人は肉体を失っても魂は未来永劫残り生き続けています。そのために自殺し一生に幕を閉じたつもりでも苦しみは残ったままなのです。

しかも、生き続けることができる寿命の時が訪れるまで、昇天することはおろか地獄と呼ばれる世界にさえ行くことも許されません。

宗教によっては永遠に浮かばれることさえできないと言われるほど。冥府にも行くことができないままに、残された人たちが悲しんでいたり恨んでいる姿を見続けなればならないのです。

自殺は絶対にしてはいけません。

2.死ぬのは自分の自由ではないから

中には「自分は好きで生まれたわけではない」と言う人がいますね。そのために「自分の命なのだから死ぬのも自由だろ」ということを言い出す始末。

しかし、本当は現世に生まれたいことを神にお願いし許されて、この世に生を受けたのです。

魂は”生まれ変わりの法則”の中で、これからどのような生き方をしていくかという人生計画的なことをプランニングして生まれてきます。そのため自殺することは約束したことを一方的に破り捨てることになり、許されるものではないわけです。

自分で自由に死ぬことができるというものではありません。

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