牛頭天王

代表的な祟り神として知られるのが、「牛頭天王(ごずてんのう)」です。

牛頭天王は、江戸時代より前から日本で信仰されてきた神で、別名「スサノオ神」とも呼ばれており疫病をもたらす神として恐れられてきました。

スサノオ神はヤマタノオロチを退治したことでも有名ですが、その時に使われた刀は実際に存在しており、ある神宮に祀られます。そして、奈良時代に桓武天皇が平安京からその刀を移すことを決めました。

その頃から周辺で次々と祟りが起こり始めたのです。このことから刀の所有者であるスサノオ神である牛頭天王が祟り神として扱われることになっていきました。

平将門

2番名の祟り神は「平将門」。 現在、東京のビジネス中心街・大手町にある平将門が祀られている首塚があります。将門は「日本三大怨霊」の1人に数えられるほど畏怖されてきた人です。

940年に将門が茨城県坂東市岩井辺りで戦死した後、首が平安京へ運ばれ都大路でさらされました。その数日後に将門の首が空を飛んで行き、切り離された身体を探して東国に戻ったという言い伝えが残っています。

それは今の将門塚とされているんですが、その後、さまざまな怪現象が現代まで続いているのです。関東大震災で倒壊した塚の跡地に大蔵省の仮庁舎が建設される際にも、大蔵省の職員や工事関係者が亡くなり祟りと騒がれたことがありました。

そのために大蔵省主催の鎮魂祭が行われたことがあったほどです。

菅原道真

3番目に紹介する祟り神は「菅原道真」です。

道真は醍醐天皇を補佐する右大臣でした。しかし、彼は左大臣・藤原時平の策略に遇い、宰府で左遷されてしまいます。失意のどん底の中でこの世を去ったのですが、その後から朝廷で怪死事件が頻発。次々と続く関係者の死に、人々は「道真公の祟りだ」と噂したのです。

道真の死後約40年後に道真の祟りを解くため道真を鎮魂する社が京都に建てられ、神となっていきます。

祟り神は守護神になる

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祟り神は人々に災いをもたらす神として恐れられてきました。しかし、その神も手厚く祀り信心することで強い守護神になると考えられています。そのために災厄となるのかそれとも利益をもたらしてくれる神となるかは、人々の信仰のあり方で大きく変わってくるわけです。

東京都千代田区にある神田明神にも平将門が祀られていますが、これは江戸時代に城の鬼門を守るために大手町にあった神社を今の場所に移した経緯があります。

憎しみを持った霊魂は祟り神となっても、人の心次第で大きな味方になってくれることがよく理解できることでしょう。

祟り神への正しい信仰の仕方

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では、祟り神を守り神として祀るためには、どのような信仰の仕方がいいのでしょうか?

1.お稲荷様のことを知ると正しい信仰が分かる

祟り神の正しい祀り方としては、お稲荷様の祀り方を知ると理解できるでしょう。

稲荷神社は願いを叶えてくれる力があると言われているのですが、その反面、願いが叶えられた時に成就した人が持つ徳だけでは物足りなく、その先の子孫からも徳を引っ張ってくるとされています。言わば、徳というお金の前借りみたいなものかもしれません。

また、お供え物をしなかったり、掃除やお祈りが疎かになってしまうだけで、お稲荷様からしっぺ返しを食らってしまうこともあります。これが稲荷神社の祟りであり、祟り神への信仰はある意味、目先のご利益信仰だけではいけないということかもしれませんね。

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